想定外が「防災プラス」を変えた。
あり得なかった「津波はここまで」――
国道45号線の標識に「津波浸水想定区域〜ここまで」―その足元に家屋が流れ着いていた!
【「 10年ひと昔」は本紙流時間感覚(10倍速)では「1年前」 】
●東日本大震災から10年――福島県沖地震に“あの日の記憶がリアルに揺れた”
先の(2月13日午後11時過ぎ、福島県沖を震源とする最大震度6強の海溝型地震)は、大震災被災地はもとより、日本に住み、10年前のあの大震災を経験したすべての人びとの脳裏を、悪夢の“デジャヴ(既視感)”で揺すったにちがいない。この10年、たびたび起こる東北地方太平洋沖地震の余震のなかでも最大規模の地震は、大震災からの復興途上、“災中”にある被災地を揺るがしたうえに、すべての人びとに、改めて日本海溝沿いの巨大地震、さらには南海トラフ巨大地震、そして首都直下地震など不意の内陸活断層地震への警戒意識を呼び戻したはずだ。
災害は忘れたころにやって来る――人間は自分の生活経験則を超える時間経過を把握できないから、忘れたころに災害に遭遇する。そこで本紙はこれまで何度か、災害の歴史的あるいは地球史的時間をとらえる方法として“10倍速”を提案してきた。例えば100年前の災害であれば、人間の生活感覚に置き換えて“10倍速”で10年前とするのだ。その伝で言えば、富士山火山の宝永噴火(1707年)は30数年前、伊勢湾台風(1959年)は6年ちょっと前で、ぐんと身近に感じられるというわけだ
東日本大震災は10年前――10倍速で1年前――“ついこの前”となる。その感覚を活かしながら、この10年の防災を考えたい。
本紙は2010年9月1日(防災の日)に創刊した。月2回発行で、その第14号(2011年3月15日号)の発行準備中の3月11日に東日本大震災が発災した。急遽、全面的な編集企画の変更を迫られて、文字通り不眠不休・必死で3月15日号(8ページ建て)の発行に漕ぎつけ、さらに「号外」として2つの別冊(各4ページ/8ページ建て)を発行した。
その後、しばらくは、当然のことながら、東日本大震災関連特別企画を打つことになったが、それらの編集企画を貫いたコンセプトは、まさに本紙巻頭図版にある国道標識「津波浸水想定、ここまで」の足元に流れ着いた家屋の映像に象徴された。


本紙は元来、事前防災を主眼とする防災メディアを志して創刊した。それが東日本大震災との遭遇によって、改めて「想定外への思考停止」をウオッチする姿勢に転換することになる。端的に言えば「安全」ということばへの警戒・検証に基いて防災を考えるという姿勢だ。大震災後に流れたACジャパンのテレビCM・童謡詩人金子みすゞの「こだまでしょうか」が注目を浴びたが、防災施策などについて行政や政治家が「安全」といえば、ただちに本紙は、本当に「安全でしょうか」とこだまする……といった具合で、果たしてその「安全」は想定外への思考停止に陥っていないかを検証するという姿勢である。
東日本大震災から10年のいま、本紙は改めてその姿勢を確認し、これを本紙としての大震災からの最大の教訓としたい。
下記に、東日本大震災以降の本紙お薦めの関連企画を列記(同記事へのリンク付き)する。いずれも保存版としていただければ幸いである。
>>bosaiplus_014_110315_巨大津波 東北沿岸を襲う
>>bosaiplus_014_015_東日本大震災_EXTRA(号外 2紙)
>>bosaiplus_018_110515_教訓としての想定外、大震災から2カ月 ほか
>>《Bosai Plus》「東日本大震災 発災から1年の軌跡 ~主なできごとと防災動向~」
(No. 38_2012年3月15日号にて掲載/PDF版 380KB)
《Bosai Plus》 No. 253/2021年03月01日号より(同P. 1(「もくじ」付き)へリンク)
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